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青春ものの小説ブログです

緋色の領分 7

ダイニングバーでは高田晴美は赤司の前でいろいろとしゃべった。今では会社の愚痴も多かった。赤司はあいづちを打っているだけだった。そろそろアクセサリー化されてきている、と赤司も気づいていた。マスターは気づかわし気に言った。

「晴美ちゃん、そんな若い子連れてきていいの?」

「お友達なのよ。ねー。軽いの一杯くれる?」

「いいの?車運転できないよ。」

「だーいじょうぶだからー。」

と、晴美が手洗いに立った時、赤司はマスターから見えないのを見計らって、素早く薬のカプセルの中身の粉をフィズに入れた。晴美に味が気づかれるかと思ったが、一緒に食べていた前菜の酸味で気づかなかったようだ。とにかくここに来るまで街角のトイレで制服を着替えたりして、用意にはいろいろ気を遣った。あと一歩だ。そろそろ、と思った赤司は話を自分から切り出した。

「晴美さんは動いていないものが動いているって見たことあります?」

「?なんのこと?動いていないものは動いていないでしょ。」

「僕はあるんですよね。そしてああこれはやっぱり動いていたんだなって思うと、とてもうれしいんですよ。」

「ふーん。それはバスケットの話?」

「ええ、バスケットでもありますね。見えないやつが実はそこにいたり、とかね。実はすぐそばに迫っていたり、とかね。ミスディレクションと言うんですが。」

「ミスディレクション?舌を噛みそうな言葉ね。」

「僕のおかあさんなら知っていたでしょうね。」

「そうね。古賀とバスケ部にいたからね。あーなんか眠くなってきちゃった。仕事押しているから・・・・。マスターそろそろお勘定。」

晴美はどろんとした様子で立ち上がった。

 「あぶないですよ。」

と、赤司は立ち上がってふらついた晴美の腰に手を回して支えた。

「そんなに酔ってませんって。おかしいわねー。」

と、晴美は言い車に戻った。

「家まで送るわ。一応年長者としてはね。」

と、晴美はけだるそうにアクセルを踏んで車を出した。助手席に乗った赤司は言った。

「時に晴美さん、8年前の会社の決算は覚えていますか。」

「会社の決算?うちの会社の?あなたとは関係ないわね。何の話?」

「父が持ち株の8割近くを僕の母の名義で買い付けましたね。それであなたの会社は父の会社の傘下に入らざるを得なかった。父と離婚話でももつれましたか。」

「そんな昔の話、知らないわ。今はまたふつうの状態に戻っているわ。」

「ええ、父と『母の死後』話合ってね。でもそれで僕の母を殺そうと思った。」

「待ってちょうだい、それは誤解だわ。私はやってない。」

「いや運転手と共謀したんだ。あの時トレーラーはブレーキを踏まずに、全力疾走して『動いて』いましたからね。僕はこの目で確かに見たんだ。」

「それはあなたの目の錯覚よ。タイヤ痕だってそうなっているって警察で。」

晴美は必死だった。赤司が子供だとばかり思っていた。どこからこの子供は調べたのだろう、いや子供ではなかった。赤司は大人の男のように吠えるように叫んだ。

「それだって金の力で何とかしたんだろう?あんたらは!」

「何を言って・・・・!」

晴美はブレーキを踏もうとして、視界がくらんだ。ハンドルを握っていられないぐらい強烈な睡魔が襲ってきた。その時横からタックするように赤司がブレーキを蹴った。バスケのキックの要領だった。車はタイヤをきしませながら、一本道の道路に斜めに急停車した。住宅街への抜け道だった。あたりは暗い山道だった。

赤司は晴美が完全に気を失っているのを確かめると、ドアから出て反対側の運転席から晴美を引きずり出した。そのまま晴美の体を草むらに転がした。そしてポケットからアーミーナイフを取り出した。刃を出して晴美の白い首筋に寝かせてあてた。殺してやる。今殺してやるからな。かあさんはあんな無残な死体になったのに、こいつはこんな首を斬られたぐらいで死ぬんだ。古賀の前で言った「あの人といるとおかあさんみたいで安心する」というのは、もちろん桃井のことだった。こんな女のはずはなかった。そういうセリフを言わされただけでも、赤司には憤懣な出来事だった。しかしあの時はすらすらとそのセリフが口をつき、涙が出た。その仕組みについては赤司にはわからなかった。死んだ母のこと、桃井のこと、晴美のことがないまぜになっていた。

赤司がしかし、犯行に及ぼうとした瞬間、後ろからきつく羽交い絞めにされた。そして思い切り横に投げ飛ばされた。

「馬鹿なことはやめろ!」

古賀だった。なんとか現場に追いつくことができたのだった。土地勘があり、この抜け道を知っていたのが幸いだった。道路に不審車が停車しているのですぐに降りてみたのであった。赤司は言った。

「邪魔しないでください。僕のおかあさんの仇なんです。」

「そんなことをしても、君のおかあさんは少しも喜ばないぞ。息子が刑務所に入ることを何と思う?親不孝なことはやめろ!」

「親不孝?あの世でかあさんはきっと喜んでくれるよ。父さんなんかもっと苦しめばいいんだ。古賀さんが僕のお父さんならよかった。」

「君の人生はどうなるんだ?バスケットで試合には二度と出られない。」

「僕の人生なんかどうだっていい。今殺させてください!」

「馬鹿っ!」

古賀は赤司の頬を激しく張った。やむを得ない処置だった。そしてアーミーナイフを取り上げた。古賀に見つかったことで、赤司は萎縮してしまったらしく、それは容易に行えた。古賀を殺してまで晴美を殺そうという気持ちは、赤司にはなかったのだった。

古賀は寝ている晴美を自分の車に乗せて、赤司も保護して近くの診療所まで車で走った。車の中で赤司は言った。

「古賀さんに第一発見者になってほしかったんです。それで名刺を置いておいた。」

「わかっている。しかしこんなことは二度とするな。」

「二度と?もう無理ですね。こんな機会は二度とありませんよ。」

「晴美さんには私の方から謝っておく。おまえは二度と接触はするな。」

「古賀さんは晴美さんの犯罪には目をつぶるんですか?」

「犯罪?証拠がどこにもない。すでに捜査も終わっている。おまえの考えているようなことは私もお見通しだ。司法は動かない。あれは事故だったんだ。あきらめろ。」

「でも僕はこの目で確かに見たんだ。」

「子供の目撃証言だけでは証拠にならないんだ。」

「古賀さんは面倒だからそんなことを言うんだ。」

「だからって殺していいはずがないだろう。」

そこで赤司は座った目で前を見据えてこう言った。

「他にやることを探せって言うんでしょう。わかりました。僕は日本一になってみせます。」

「日本一?」

「バスケットで日本一になります。つまり、司法の日本一と同じだってことです。それなら草葉の陰からかあさんも喜んでくれる。」

「そんな気持ちでは試合に出ても勝てない。」

「そうでしょうか。僕はやるつもりです。やってみせますよ。」

「・・・・・・。」

古賀は沈黙した。まるで売り言葉に買い言葉だと思った。赤司の提案は悪いものではなかった。だが何か変だと思わずにはいられない古賀だった。

診療所で気がついた晴美は、最初泣き叫んで暴れたが、古賀が未成年者を連れまわしたことは内密にするから、赤司のしたことは忘れるように、と言うとうなだれて黙り込んだ。彼にはもう会わせませんよ、あなたも会いたくないでしょう、と言うと晴美はこくりとうなずいた。車の方はJAFに手配しておきましたから、と古賀が言うと、「怖かったのよ。あの子が。」と晴美は一言言った。