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青春ものの小説ブログです

緋色の領分 4 

赤司が桃井の目の前で乗った車を運転していた女性は高田晴美と言い、はっきり言うと父征臣の愛人だった女性である。年齢はもちろんもう若くなくて、40代後半であるが、サングラスをかけていたのと、若作りなので桃井にはそう見えなかった。要するに大人びた女性に赤司がお持ち帰りされたと見えたのだった。

高田晴美が赤司をはべらせていた理由も父征臣が原因である。高田は征臣の持つ赤司コンツェルンの同族会社の女社長を務めていた。いわば赤司から見れば遠い親戚にあたる。晴美はバブルのころ、起業ブームに乗ってベンチャー会社を設立し、そのころは仕手筋でならしていた父征臣と意気投合し、妻の詩織をほったらかしにして、接待ゴルフなどを一緒に興じていたこともあった。あのゴルフをするOLの漫画を地で行くような感じで征臣とはつきあっていた。しかし妻詩織がそういう夫征臣に愛想をつかし出して、昔の大学のバスケット部の古賀と連絡をとりはじめたころから、風向きがおかしくなってしまった。しかしそれは詩織から連絡を取ったのではない。街で偶然古賀と再会し、たまたま連れ歩いていた子供の赤司の頭をなぜて、バスケはおもしろいぞと言ったぐらいのことからだったのだった。征臣は最初は気がつかなかったが、詩織が公園に赤司を連れて行くのをある時見て、その時横に古賀が立っているのを見て、口論になった。古賀は毎回横にいて赤司に指導していたわけではない。しかし偶然そういうときを見られた。すでに子供の教育上のことで、征臣と詩織の間では決定的な違いがあった上に、それである。詩織が子供に自由な時間がないのはかわいそうだ、とあまりに言うので、征臣がしぶしぶ譲歩したのが、古賀とは日常的に会わないということ、そして制限時間を分単位で決めた公園でのバスケット遊びだった。幼い赤司はそれでも喜び、近くの公園でバスケット遊びに興じた。詩織は赤司が征臣に時間を決められて、毎日勉強やお稽古ごとを山のようにやらされているのにも、ただあきらめて無言で微笑んでいるだけだった。そのころには詩織はほとんど征臣と会話をすることはなかった。相変わらず晴美と征臣のつきあいは続いていた。詩織との結婚は政略結婚の要素が強かったのだった。学生時代に知り合いではあった、しかしものすごく仲がよくて恋をして一緒になったわけではなかった。そんなとき悲劇は起きた。

その公園から帰宅する途中だった。公園は大きな総合運動公園で、前に車線の広い道路があった。そこを渡ろうとしていたときだった。赤司は先にボールを持って走って横断歩道を渡った。おかあさん、早く早く、と言ったときだった。向こうから大型トレーラーが走ってきた。トレーラーは速度を緩めずに右カーブで曲がった。

「おかあさん!」

巻き込み事故だった。赤司の数メートルの手前で母親詩織は車輪の下敷きになっていた。母親が押しつぶされる瞬間を幼い赤司は目撃したのだった。おかあさんがはじけた。幼い赤司はボールを取り落として、その場で金切声で泣き叫んだ。運転していたのは、ある運送会社の社員だったが、明らかに暴力団系列の会社にいた中年の男だった。男は警察ではカーブでブレーキを踏んだが間に合わなかったと主張した。父征臣は、母詩織がバスケットを子供にやらせた帰宅途中に亡くなったことを面倒に思い、警察の事情聴収は手早くすませ、男とは示談金で早く解決した。妻に先立たれたことで、会社の業務が滞ることと、相続税を多く支払わないといけないことなどで征臣は腹を立てていた。妻の死はあくまで予定外だった。しかし征十郎は警察の人に、自分の目で見たものを伝えたいと言い張った。父征臣はがんとして聞き入れなかったので、征十郎は学校で荒れたのだった。そのころ世界は征十郎に向かって牙をむいていた。わかってくれたのは古賀さんただ一人だけだった。

その古賀さんが見たら何と言うだろうか。自分は今その、母の仇の高田晴美の運転する車の助手席に乗っている。乗馬クラブ入口で、車のキーを拾ったと言って声をかけたのだった。それから馬のことで話をつなぎ、実は征臣の息子だと言った。晴美は最初警戒したが、共通の親戚の話を持ち出し、赤司が幼いころに会ったことを覚えていると言うと、その警戒心を緩めた。運転しながら晴美は言った。

「征臣くんの息子だなんて、見たときは思わなかった。だってぜんっぜん似てないんだもん。そういうことってあるのねー。」

「そうですね。似てないってよく言われます。」

「あの乗馬クラブに前にいたんだって?」

「ええ。昔父にやらされました。」

「ふうん。今は何しているの?」

「バスケットをクラブ活動でしています。」

「そうなの。まじめなのね。詩織とは大学で一緒だったこともあるのよ。かわいそうな死に方だったわー。」

「ええ。」

「征臣くんひとりで育てたなんて、えらいわ。私はあいつとはつきあったことあるけど、ほんとそういうのだめって思ってたから。」

「そうですか。」

そこで赤司はこう切り出した。

「僕、母のことよく知らないんですよね・・・・。すごく小さなころに亡くなったので、母の話を聞きたいんです。」

「あら、そうなの?おばさんの知ってる話してあげようか?」

「ええ、知りたいですね。」

「そうなの。じゃ、また会いましょ。征臣くんにもよろしく言っといて。これ、私の連絡先。スマホにつながるから。」

と言って高田晴美は名刺を征十郎にくれた。ふつうの会社名刺だった。手に入れたかったのはこれだった。そのため一年ぐらい前から高田晴美の周辺で、時間のある時さぐりを入れていたのだった。退部した灰崎が繁華街で見て「裸の王様」うんぬんと言ったのは、このころの赤司を目撃して言ったことであった。

帰宅した赤司は、父のいない夕食後に、自室の机の引き出しから睡眠薬の錠剤を何錠か取り出した。それは幼いころの赤司に処方された睡眠薬だった。今はこういうものにたよらずとも、母の死を目撃したことは乗り越えられている。しかしあのころはそうではなかった。それを思うだけで、赤司の心は激しく暗くきしむのだった。睡眠薬は家庭の管理能力がほとんどない父にまかされて、台所の戸棚の片隅に長い間放置されていたものだった。ホームセンターで購入した小さなすり鉢とすりこぎで赤司はそれを入念に押しつぶした。ネットで薬効成分などは調べていた。自分のこれからしようとしている計画は、完全犯罪などとはほど遠いことだ。それはよくわかっている。しかしどうしても許せない。あの女が生きていることが。ふと、彼は手を止めた。赤司は低く唇に乗せてつぶやいた。

「・・・桃井さん・・・。」

桃井さんは悲しむだろうか、と赤司は思った。自分が逮捕されたらあの帝光バスケ部は終わりだ。いや桃井さんはきっと僕のことを激しく憎む。バスケ部の未来をつぶした男として。桃井さんも僕から去っていく。きっと青峰のところに行くんだな、と彼は思った。いつのころからか青峰は恋のライバルだった。桃井さんが母と同じバスケ部のマネージャーというだけで、好きになった。記憶力のいい赤司は、入学式の時の桃井の様子まで覚えていた。桃井は桜吹雪の舞う中、制服を着て楽しそうに笑っていた。あの時から大好きだったよ。馬鹿みたいだ僕は。僕がいなくなったら、あの紙の城の中に、桃井さんの人形だけが残るんだ。桃井さんを囲んでね、ナイトたちが各ポジションにいるんだよ。それを桃井さんは少しも知らないんだ。赤司の孤独な作業は続いた。