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青春ものの小説ブログです

緋色の領分 2

赤司家は東京の閑静な住宅街の高台の一角にある。外壁はタイル貼の洋館風で、窓も高窓でヨーロッパ風だ。しかし明治時代に建てられた歴史的建築物ではなくて、戦後の70年代のころに建てられた家屋だ。従って内部構造は鉄筋造りの頑丈な建物である。質実剛健な作りの家は、家風の堅実な株取引で財を成した実業家の一家に誠にふさわしいものであった。

その洋館の中の食堂の一室で、今日も父子二人だけの夕食会が行われている。もちろん毎晩というわけではない。父征臣が会社社長の業務で忙しい場合は、征十郎一人で夕食をすませる。その場合は母屋の台所で食べるのであった。しかし父と食べる場合はこのようなダイニングルームで食事をとる。

征臣がその時、思い出したように征十郎である赤司に言った。

「そろそろおまえの前髪が伸びてきたな。散髪に行くように手伝いに言いつける。」

「はい。」

「古賀とはまだ詩織の部屋で、箱庭で遊んでいるのか。」

「最近はしておりません。古賀さんも僕も忙しいので。」

「そうか。バスケットもほどほどにしておかないとな。部ではどうだ。」

「はい。副部長になりました。」

「部長になるぐらいでなくてはな。古賀と詩織のことで、小さいころおまえの髪の毛をDNA鑑定に出したことがある。おまえは正真正銘私の子だから、それぐらいでなくては困る。」

「はい。」

「詩織のことでは本当にいろいろあった。思い出したくもない話だ。忙しい中で何度も警察に出向かなければならなかった。葬儀は立派なものにしたがな。赤司家の葬儀だからな。」

「・・・・・・。」

「あの詩織の部屋もそろそろ片付けて、整理をした方がよさそうだ。」

「それは困ります。古賀さんと僕の医療療法はまだ終わっておりません。」

「そうか?すっかりもういいように思うが。車での送迎も断り、おまえももうふつうに学校に通っているし、成績の方も学年一位を取っている。そうでなければならないが。」

そこで征臣は食事のスプーンを置き、赤司に言った。

「古賀と会うなとは言わない。もともと私からおまえの面倒を頼んだのだ。ただ古賀とバスケットの話ばかりするのはそろそろやめたらどうだ?おまえには赤司コンツェルンの跡取りという重大な任務が控えている。考えておくようにな。」

「はい。」

赤司はほとんど父の顔を見ずに答えている。父はまるで、のっぺらぼうの人物のようだ。そう思うのはなぜだろうか。まるで現代抽象絵画の人物像のように思えてならない。しかし赤司はふつうの顔で言った。

「心配せずとも、バスケットのことは学業の合間にしているつもりです。」

「そうか。それならいい。」

と言うと、征臣は席を立った。いつもの父との夕食会だった。

夕食後、赤司は自室の前の廊下の突き当りにある、死んだ母詩織の部屋に行ってみた。母の部屋はきちんと整頓されていて、マホガニーの化粧机の上に、ペーパークラフトの城が置いてあった。先ほどの父の話に出た「箱庭」はこれである。古賀が赤司が小学生のころに持ってきたもので、外国製の本格的な代物だ。古賀とこれを何年も作っている。それは母が死んだあとからだった。

「お城を作ってみよう。」

と、古賀が言ったのだった。母が死んで荒れていた時期だった。自分は小学三年生だった。古賀は古賀秋夫と言い父と母の共通の古い友人で、中学校で体育の教師をしていた。妻帯者で子供もいた。赤司より幼い兄弟だが、写真でしか見たことはなかった。

古賀はきれいに切り詰めた角刈りの頭をした背の高い男で、父よりも清潔感の漂う風貌をしていた。赤司は最初から古賀には魅せられた。大学ではバスケット部に所属していて、赤司の母はそのマネージャーをしていた。バスケットを幼い赤司に薦めたのは母だったが、母の死後赤司にバスケットの話をするのは、もっぱら古賀であった。彼は大学でも体育会系のところにいたせいか、スポーツ心理学なども学んでいて、赤司の父から赤司が母の死後精神的におかしいと相談され、病院などに入院させるのは家風上好ましくないということで、赤司のところにやって来たのである。それで詩織の使っていた部屋で、なかば訪問看護の形で医療療法のまねごとをしていた。

もちろん小学生の赤司は精神科にも通院したこともあったが、それも父征臣の脳に悪いということですぐにとりやめになった。この紙の城も、父征臣の許可の上作ることになった。同じく脳に悪いテレビゲームなどもっての他だという話だったからである。それもある意味では無理もなかったかもしれない。母が死んだ直後赤司が小学校で作った粘土細工には、折られたカッターナイフの刃が一面に突き刺さっていた。それで色をなした女教師が、父征臣に赤司の脳がふつうではないと言ったのである。当時赤司はクラスメイトとも衝突を繰り返していた。

古賀はしかしその話を聞いても、赤司を特別扱いしなかった。古賀が母詩織が自分の大学のバスケット部のマネージャーをしていたこと、それで赤司にバスケットを薦めたことを言うと、赤司は得心してうれしくなってしまった。古賀と詩織の部屋で紙の城で遊び、ミニバスの練習をすることが一週間のうちの楽しみの日だった。しかし父征臣はある時機嫌が悪かったのか、バスケットをするなと一喝したことがあった。古賀と母とのいきさつも十分に推察される出来事だった。その日征十郎は夜くやしくてベッドで泣いた。あいつには何にもわかっていない。父の前で無言でいたのは、その抵抗のためだった。だが征十郎は紛れもなく征臣の息子であった。

赤司の目の前の紙の城の真ん中の塔の中に、女王様の人形が入っている。最初に城部分を完成させたとき、古賀さんが好きな人形を置いてごらん、と言ったので赤司はそれを置いた。

「それが君のお姫様だね。」

と、古賀さんは言った。赤司は無言だった。古賀さんは笑って言った。

「女の子のするような遊びだと思っているね。この城は君の心を表しているんだよ。箱庭療法と言ってね。こういうことをすると心が落ち着くんだ。人の心は不思議なものでね。君はなぜ人間が小説を読むのか考えたことはあるかい?」

赤司が首を振ると、古賀さんは答えた。

「心がそうするとバランスがとれるからなんだ。君はこのお城を作ることで、バランスがとれるようになる。君の物語なんだよこれは。バスケットの試合なんかも物語なんだ。そうは見えないけどね。」

赤司は月明りに照らされている、その人形をじっと見ている。古賀がお姫様と言った人形だった。それから城の手前の門のところに、新しく門番を置いた。それはこの前まで練習を一緒にしていた黒子のつもりだった。あいつはこの城に「必要」だ。古賀さんには言えないことだけどな、と赤司は思った。今では古賀さんの箱庭療法で僕はこの城を作っていない。それは絶対に古賀には秘密だった。赤司は詩織の部屋の扉を閉め、音もなく出て行った。