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青春ものの小説ブログです

緋色の領分 1

「わぁ、なにこれー。赤司くん、これ見てると目が回るよー。」

「うん、フレーザー・ウィルコックス錯視って言うんだ。ネットにもあるけどさ、これ紙に印刷しただけのものなんだよ。目の錯覚で動くんだ。」

「えーなにそれー。気持ちわるーい。」

帝光中学の一年の休み時間、同じクラスの赤司征十郎が持ってきた科学雑誌のイラストを見て、桃井さつきは正直気持ち悪いと思った。じっと見ているとその渦巻き幾何学模様はぐるぐると回転しはじめるのだった。桃井はクラスの女子たちの後ろからそれを見ている。彼女はおとなしい性格なので、ただ黙って見ている。赤司は得意そうだった。動かないはずのものが動いて見えるのが、彼にはそんなにうれしいのだろうか。赤司くんは変わっている。

「赤司、なにそれ。雑誌?」

「うん。古賀さんにもらったんだ。」

「誰?」

「お父さんの友人だよ。」

「あ、そ。つまんねぇじゃんそんなの。大人の読む本だろ。」

「つまらなくはないよ。この錯視は網膜で見た画像と、脳での情報処理能力の認識の時間がずれていて、起きるんだよ。人間だからそう見えるんだ。」

「へぇー。なんのことかさっぱりわかんね。」

男子たちがそう冷やかして言うのにも、赤司は意に介した様子ではなかった。女子たちは言った。

「サイケだよね。なんだかオバケみたいな絵っていうか。」

「あ、そう言えば体育館でこの頃夜オバケが出るんだよ。部活終わってるのに、ボールついている音がするんだって。」

「やっだぁー。誰か残っているんじゃないの?先生に見つかったら怒られるよ。」

「ねぇ桃井、三軍の倉庫最後にちゃんと施錠している?」

桃井ははっとなって答えた。

「え、え?体育館?見てるけど・・・・。」

「鍵ちゃんと職員室にかけておかないとだめだよ。」

「してるよー。」

「桃井はマネージャーだもんね、バスケ部の。最後まで使っているのバスケ部が多いから。」

話をしていたのは、女子バレー部のレギュラーのクラスメイトだった。彼女らが倉庫と呼んだのは、第二体育館のことだ。予備軍の三軍と呼ばれるレギュラー部員以外の部員が主に練習に使う場所だった。彼女は桃井に言った。

「今度さ、下校のあと念のために覗いてみたら?」

「えーいやだよ、真っ暗だよ。」

「青峰くんがいるじゃない。一緒に行けばいいんだよ。」

「青峰くんてかっこいいもんね。この前の全中の試合でも大活躍だったし。守ってくれるよ、オバケから。」

「え・・・え・・・・かっこいい・・・?」

「そうだよ。」

と、その時がたんと音がして、赤司が席を立った。丸めた雑誌を手に教室から出て行く。赤司が出ていくのを見はからってから、バレー部が二人で言った。

「赤司くんもかっこいいよね。彼もバスケ部だよね。家お金持ちなんだよ。入学式の日、学校の近くまで黒塗りの高級車で来たんだって。」

「えーそうなんだ。すごーい。」

「今はふつうに通っているけどね。もう赤司様って感じだよね。」

桃井は黙っている。自分はまだこの前入学したばかりの新米マネージャーで、そういうことをするのははじめてなので勝手がよくわからない。小学生の時の、体育クラブ活動とは明らかに違う。階層がこの世界にはある。大人の社会のひな型のような階層社会だ。それは小学校よりも露骨にあった。桃井がバスケ部のマネージャーになったのも、そうした階層社会が影響している。今も、バレー部レギュラーの子から遠まわしに見回りに行くよう命じられているのである。

桃井は運動があまり得意な方ではない。従ってマネージャーになることにしたのだった。バスケ部にしたのは、幼馴染の青峰に頼まれてだった。どうせならおまえがなってくれよ。他の部はやめろよ。そう言われて、仕方なしにバスケ部にしたのだった。赤司は一年生だが、もう副部長をしていた。

桃井は新米なので、失敗も多かった。この前監督と先輩のマネージャーに言われて、レモン漬けを作るように言われて、母にスーパーでサンキストを買ってきてもらって料理サイトを見ながら作ったのだが、レモンを切らなかったので青峰から馬鹿と言われた。

「なんだこれ?切ってねぇじゃん。こんなん食えるか、ブス。」

「ひどい・・・・。」

「うっせーんだよ。食えるもん作って来い。」

すると横から赤司が言った。

「桃井さん、料理部に行って包丁をもらってくるといいよ。僕が切ろう。」

「え・・・・。」

「桃井さんでは無理そうだからね。」

「あ・・・・そんなのいいよ。私が切る切る。」

「そう。日々チームを支えてくれていることに感謝しているよ。」

赤司はそれだけ言うと、向こうに行ってしまった。

「すかしてんな、あいつは。」と、青峰は言った。

「赤司くんは親切なだけだよ。」と桃井は答えたが、悪い気はしなかった。青峰はやはり粗暴だった。しかし青峰とは家が近所なせいもあって、親同士が仲良くしているので、どうしても一緒にいることが多かったのである。その青峰と第二体育館を見回りに行けと言われた。

青峰は面倒そうだったが、暗くなった校舎の間を通る時、先に立って歩いてくれた。第二体育館に着くと、確かに明かりがもれている。扉をおそるおそる開けてみた。

「え・・・赤司くんと・・・・誰?」

桃井は驚いた。知らない学生だった。青い髪の目立たない子だった。赤司はその前に立って何かバスケットの指導をしている最中だった。青峰は言った。

「おまえらこんな時間まで残ってたらどやされんぞ。電気代がかかるから、先公怒りまくるぞ。」

「わかってるよ。」

と赤司は一言言うと、ボールを投げ捨てて外に出て行ってしまった。桃井は不安になった。残ってぽつねんと立っている子に彼女は声をかけた。

「君は?」

「あ・・・・三軍の黒子と言います。赤司くんが、僕に特別指導してくれるって言って・・・。」

「それは監督からの命令?」

「あ・・・・違います・・・・たぶんそうです・・・・・。」

影の薄い子ね、と桃井は思って、思い出した。練習中に体調がすぐれないと言って、保健室に行った部員だった。見るからに弱弱しい印象だった。保健室で吐いたとか聞いた。黒子は言った。

「彼を怒らないでください。僕が彼の薦めで練習していただけなんです。練習したら一軍になれるって言われて。」

青峰は言った。

「何を練習していたんだ?」

「それは言えません。約束だから。」

「あいつとの?」

「そうです。」

黒子はそう言ってうつむいた。やり過ごしたいのね、と桃井は思った。桃井は言った。

「監督には報告しておくから。今後はしないでね。」

「はい・・・。」

と、そこで黒子は言った。

「今度のパステスト、受けさせてほしいんです。監督に進言してください。お願いします。」

そう言って桃井に向かって黒子は頭を下げた。桃井は私の一存ではできないと断り、しかし監督には話をしてみると言った。黒子はうれしそうな顔になった。彼も階層社会に生きていた。そういう縮図の中にいた。

黒子には夢があった。黒子は小学生のころ知り合った少年――荻原シゲヒロという少年と文通し、バスケットの夢を語り合っていた。しかし黒子は一度は監督から、三軍の下位五名に入っているということで、退部するよう勧められたのである。そのショックで公園で泣いたりしていた。自分の夢がつぶされたのである。だが、そんな黒子を赤司は拾い上げてくれた。黒子がスポーツ選手としては珍しいぐらい影が薄いと言い、ミスディレクションの練習をしてくれたのであった。だがそれも後述するが、赤司は古賀とのバスケットの練習を黒子に再現していたにすぎない。しかもそれも赤司にとっては外面上は、試合の戦力になるかもしれないという、非常に冷徹な判断上からのことであった。彼は同じく一軍の緑間に言ったものだった。

「どうして黒子を拾ったのかだって?純粋に戦力になるからだよ。他に理由はないね。」

「本気であんな奴が化けると思っているのか?」

「僕は糸を垂らしただけだよ。登ってこれるかどうかは本人次第だ。」

緑間にはそう言ったものの、赤司自身はやはり黒子が哀れだったからそうしたのだった。きっかけはほんの少しの同情心からだった。そしてそのころ、大人の古賀のようにふるまってみることが赤司には楽しかった。今度は自分が教える立場になれたと思った。そう思った。それは文字通り自分の影を育てているようなことだった。影が自分に歯向かうとは夢にも赤司は思っていなかった。そんなことをしたのも、赤司もこの時期はある計画で気が大きくなっていたのかもしれない。

緑間はそんな赤司に釘を刺すように言った。

「三軍のやつに気を取られて、降格だけはするなよ。」、と――。