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青春ものの小説ブログです

笥(はこ)詰めの恋 10

桃井は今必死で体育館裏手に向かって駆けていた。こっそり選手控室を覗いたが、すでにもぬけの空だった。帰り客の人混みに押されて、前に進めない。「通してください!」人の対流とは逆方向に向かって彼女は進んだ。裏手に大型バスなどの留まるロータリーがあるのはわかっていた。空からの雪は小雨に変わっていた。走って行くと、洛山の選手団の乗る移動バスが停留しているのが見えた。「待ってください!」彼女は大声で叫んだ。そして必死で駆け寄った。赤司らが帰りの手荷物を背に、バスに乗るところだった。桃井は息せききって赤司の前にたどり着くと、封筒を差し出した。「あの・・・・、これ・・・、受け取って赤司くん・・・・。」赤司は心底驚いた。まさか桃井が来るとは思ってもみなかった。見ていた実渕がひやかすように言った。「なになに?まさかラブレター?隅に置けないわね征ちゃんも。」桃井はあわてて言った。「違う違う。昔の写真だよ。赤司くんに持っててもらいたいと思って。部活の最後の時渡せなかったから。」「あら、そうなの?でも今渡すのねぇ~?」と、事情をよく知らない実渕は笑って言った。赤司は桃井に微笑んで言った。「ありがとう、桃井さん。元気?」桃井は大きくうなずいた。「うん、元気だよ。赤司くんも元気出してね。」「うん。」赤司はそれだけ言うとバスに乗り込んだ。バスは雨の中発車した。ロータリーを回る時、桃井が雨の中手を振っているのが見えた。赤司はその瞬間、胸が詰まった。桃井はバスから見えなくなるまで手を振ってくれた。(かあさん。)桃井の姿が、幼い日に自分が、夕日の公園でバスケットゴールの前で遊んでいるのを待っていてくれた母の姿と一瞬重なった。赤司はバスの中で封筒を開けてみた。写真が一枚入っているだけだった。帝光時代の何年かの合宿で撮られたものだった。自分と桃井は両端に分かれて映っていた。黒子は自分の隣にいた。桃井がこの写真を渡そうとした理由が彼にはわかった。中学のあの日を忘れないでおこうと思った。今ならそう思えた。

 

帰りの新幹線では夜だった。列車の窓を眺めながら、いつものように今日の試合内容をしばらく赤司は反芻していたが、やがてやめた。敗因ははっきりしていた。自分の采配ミスだった。その原因となった黛も、後ろの座席で試合の疲れで寝ていた。他の選手たちもいびきをかいて眠っていた。起きているのは赤司だけだった。ふと、彼は車窓の中にこちらをひたと見つめているふたつの小さな眼玉を見つけた。窓ガラスの中だけにそれは映りこんでいる。箱の中の猫の瞳のようだ。ホラーかな、と赤司はなげやりにぼんやりと考えた。やっぱり疲れているんだ。と、その時赤司の心の中に何者かが語りかけてきた。負けちゃったけどよかったね・・・・桃井さんはもし君が勝っていたら、その帝光時代の写真は郵送ですませちゃったかも・・・そうならなかったでしょ・・・・負けちゃってよかったね・・・・。赤司は「彼」だとすぐにわかった。消えろよ、と彼は心に強く念じた。瞳はぴりっと震えてすぐに瞼を閉じた。暗い窓の中には何もいなくなった。列車が長良川の鉄橋にさしかかったときだった。続いて畑の中の踏切を通過し、試合開始の時のホイッスルのように、列車の警笛が高く鳴り響いた。

 

完・2017年6月8日脱稿