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青春ものの小説ブログです

笥(はこ)詰めの恋 6

第四クォーターが始まった。点差はいつの間にか秀徳は14点のビハインドになっていた。それも赤司の緑間へのほぼ完璧なマークのせいである。「ぐっ。」緑間は追い詰められていた。ボールを持つことすらできないのか。緑間のトリプルスレッドを赤司は次々と抜いた。「調子に乗んなよ、一年坊主!」秀徳の選手たちが速攻中の赤司に対して盾になろうと詰め寄ったが、「・・・・どいてもらおうか。僕の命令は絶対だ。」という赤司のセリフの前に次々と倒れた。アンクルブレイク?しかし彼らにドリブル中の赤司に足をかけられたという意識はなかった。何かがおかしい。観客席がざわめき出していた。青峰と試合を見ていた桃井は、何が起こっているか見届けようとした。京都で会ったときの赤司くんとは違う。たぶん、違う。それが自分が関係しているとは桃井は夢にも思わなかった。青峰は言った。

「エンペラー・アイ?いや、ゾーンに入ったということか。」

「ゾーン?」

「ゾーンはな、強力な自己催眠能力に似ているからな。」

桃井は青峰の言葉に沈黙した。赤司くんが赤司くんでなくなってきているということ?青峰は言った。

「ゾーンに入ると肉体的にも精神的にも消耗が激しい。いつまでもつかな。」

「・・・・・・。」

「まああと9秒だ。この20点差のまま終わりだろう。」

緑間は高尾に目配せした。とっておきを見せてやる。このチームに人事を尽くしていない者などいない・・・・!赤司の前で、緑間はボールがないのに3Pのシュート態勢に入った。赤司は少し躊躇したようだった。彼としては珍しく緑間の意図が見抜けなかったらしい。緑間はそのまま、高尾から来たパスを受け流してシュートを放った。バレーのトスレシーブの要領だった。観客席で見ていた黄瀬は思った。こんな命中精度の落ちるシュート攻撃をしなければならない緑間は、相当追い詰められていると。だが緑間はその精度の落ちるシュートを2本連続で決めた。点差は一気に縮まった。緑間は赤司に言った。「秀徳はまだ死んでいない。勝負はこれからだ。」赤司は言った。「想定以上だよ、真太郎。そうでなくては面白くない。」

緑間は必死だった。続く赤司の速攻を止めようとしたが、先ほどの選手たちのように足が滑るのを感じた。こいつはいったい何をしているんだ?シュートインの瞬間も赤司を邪魔できたと思ったのに、赤司はパスに瞬時に切り替えて根武谷にボールを送った。おそろしく状況判断が速い。高尾はその時絶望的に感じた。だが根武谷の攻撃を大坪が阻止し、高尾にパスが流れ、また緑間に3P攻撃を送れることになった。3本連続で緑間のシュートが入った。これでは洛山の勝ち越しにはならないか?というムードが流れたとき、赤司が意外すぎる行動をとった。自失点の自ゴールにインしたのである。すぐさまタイムアウトが取られた。

「なにやってんだ赤司?」

根武谷がどなった。赤司はどこか宙を見据えたような顔つきで言った。

「僕がいつ気を抜いていいと言った。もっと僅差であればこんなブザマさを演じることはなかった。ならば差などなくしてしまった方がいい。」

根武谷は赤司のユニフォームの首をつかみ叫んだ。

「なんだと!」

横から実渕が仲裁に入った。

「ごめんなさいね、うるさいのは苦手なの。ちょっと静かにしてもらえないかしら。征ちゃんがこう言うのもわかるから。」

赤司は言った。

「もし負けたら僕の今のゴールミスからだ。全責任を取って速やかに退部する。おまえたちがいて負けるはずはない。」

そこで赤司は手を宙空に差し出してこう言った。

「負けたときは、故事のオイディプス王の話にあるように、罪の証としておまえたちに、僕の両の眼をくりぬいて差し出そう・・・・。」

根武谷は顔をしかめた。

「は?オイディプス?なんだって?」

実渕が根武谷の肩をポンとたたいた。

「罪を償うって言ってるんだから、この子はね。ギリシャ神話ぐらい読みなさいよ。」

と、実渕は軽くいなしたが、それにしてもこの赤司くんは目がいっちゃってるわねぇ、と思った。父を殺し母と姦通したギリシャの王の名前を突然出した赤司の気持ちは、赤司の家庭事情を知らない実渕にはまったくわからなかった。そして葉山がわけもわからずに言った。

「何言ってんだよ赤司!そこまでする必要はねぇよ!」

葉山は赤司の言葉を言葉通りの意味に受け取ったらしい。ともあれ赤司の行動で、洛山の選手たちのムードがまた変わった。彼らは一年生の赤司を盛り立てて今まで結束していたのである。この作戦タイムはその意味で有効だった。タイムアウトが終わり、戻ってきた緑間に赤司は宣言した。

「宣言しよう。おまえはもうボールに触れることすらできない。」

緑間の龍眉がつりあがった。

「なん・・・だと?」

緑間は言った。

「不可能なのだよ赤司。おまえの高さでは、俺たちのシュートは止められない・・・!」

赤司は言った。

「僕の眼がエンペラー・アイだと言うのなら、僕には未来が見えているはずだと思うのだろう?違う。僕には見えていない。だが君の行動は予測できる。僕にはエンペラー・アイなど必要ない。予測は推理だからね。」

そう言うと、赤司は重ねて言った。

「人間の行動には絶対はずれることのできない法則がある。特にバスケットのような試合にはね。絶対にある。絶対は僕だ。」

緑間は赤司のこちらを見つめて動かない眼に押された。インターハイのころから言われていた、自分に対するエンペラー・アイについての噂話の内実は、すでに赤司の耳に入っているのだろう。それを覆そうとする赤司の気持ちはわからないではなかった。しかし緑間にとってこれはあまりにも不愉快なセリフだった。緑間は言った。

「その法則が、これから先俺がボールに触れないことだと言うのか?」

「そうだ。」

緑間は無言になった。

再開したゲームでは、高尾にダブルチームがついた。当然の事態だった。「なめんじゃねー!」高尾は二人の追撃をかわした。緑間はシュートの態勢に入っている。しかし高尾がパスを出した瞬間、いなかったはずの赤司の姿がそこにあった。後方右手にいたはずだ。高尾はしまったと思った。追いつけるはずがなかったのになんでいるんだ?前半戦の赤司のコースの速さから推測していたはずだった。パスカットされ、見ている間に赤司がまた得点した。緑間は打ちのめされていた。高尾のパスコースを予測していたのだった。また、ダブルチームで左手にしかパスが出せないことも読んでいた。前半戦のあの動きすらも、あいつの全力ではなかった、すべては計算されていたことだったというのか?

その後の試合運びは特筆するものは特にない。ほぼ一方的な洛山からの攻撃で、点差は開くばかりでやがてゲームアップとなった。86対70で負けた。緑間は敗北をかみしめて、整列時に赤司に右手を差し出した。しかし赤司は握手を拒んだ。赤司は一言言った。「勝利を欲するなら、もっと非情になれ」、と。その真意は緑間の知るところではなかった。それもまた、赤司の父の昔日の言葉だったのかもしれなかった。決勝戦に進んだ洛山の選手たちは、派手に喜ぶ風でもなく粛々としていた。前年度も前々年度もリーグ優勝を果たしたその実績を崩すことなく、勝って当たり前と思われていることを、彼らもよく承知しているのだろうと、誠凛の火神は見ていて思った。赤司らはそのあとの誠凛海常戦を観戦していたが、特に騒ぐこともなく試合結果が誠凛が勝ち上がったことで、明日の決勝戦の相手は誠凛だなと言い宿泊先に戻った。

赤司は宿泊先の暗い窓ガラスに映る自分の姿を眺めながら、今日の試合内容を反芻していた。「彼」が無言で何かを助けている。自分と「彼」の領域の境界点を左右に激しく揺れながらゲームをしていたような感覚だった。普段の自分なら絶対に言わないだろうセリフも吐いた。オイディプス王の話は幼いころ本で読んだ。母親を汚すようなことをした王だと思った。その末路が杖をついて盲目で荒野を歩くというのも、彼の心に暗い影を落とした。自分は決してそうなってはならない。「眠れ、歴戦の勇者よ・・・・。」と赤司は目を閉じて低くつぶやいた。RPGによくあるような呪文を試しに唱えてみた。今すぐに貴様はぐっすり寝ろ。やはり中学の時横にいた「彼」は今後は必要ないと思った。少なくともあんなことを口走る自分は肯定できるものではなかった。「彼」が自分の行く先々で何かを助けてくれるとしても、それは自分にとっては余計なおせっかいだった。「彼」のしてくれることは、自分の自力ではないのだ。赤司は目を見開くと、虚空に向かってまなじりをつりあげた。秀徳との試合開始の時、「彼」にいてほしいなどと一瞬でも願うのではなかった。あの一言が余計だった。あんなやつだとは思わなかった。赤司は自分の斜め上に今存在しているらしい、「彼」の存在を呪った。それは試合中の赤司にまとわりつく、粘液質の何かの物質だった。明日の試合ではあの黒子と当たる。平常心でいる自分であれと彼は強く念じた。