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青春ものの小説ブログです

笥(はこ)詰めの恋 4

一行が入ったのは、観光客でごったがえす駅ビルの南側にあるファミレスとスタバの中間のような店だった。地方によくある、スタバに似たような形式の店である。そこで皆アイスのものを頼むと、開口一番黄瀬が言った。

「このメンバーは中学一年の時の一軍のメンツっすね。覚えてない?」

赤司はああ、と思った。ほとんど忘れていたことだった。

「黄瀬は違ったろ。」と青峰は言った。

「そうそ、俺ぬきでね。」と黄瀬は答えたあと、「まあなんつうか古株同士?情報交換ってことで。」と言った。

赤司は少し身構えた。黄瀬があの噂話の「エンペラー・アイ」の話をするかと思った。先回りするつもりで、彼は青峰に声をかけた。

「故障はもういいのかな?」

青峰は、あ、という顔をしたが答えた。

「ああ、決勝戦で当たれなかったのは悪かったよ。ひじは戻ってきている。」

「そう。ならよかった。」

桃井はちょっと不安そうな顔をした。しかし青峰が話をし出した。

「俺は桐皇ではまあまあやってるけどよ、中学んとき一時やめたことあったろ。目の前に壁みたいなもんがあるような気がして・・・そんで今のバスケ部でさ、監督が読めと言った本があんだよ。ゾーン理論?まあ精神論なんだけどよ。ただその本で俺の壁になるやつは俺だけだって中学で思ったこと?それと似てるような気がしてよ。少しは気が晴れたかな。まあ限界論みたいなもんだけどよ。」

と、青峰は言って赤司に言った。

「おまえもあの本読んでんだろ。黄瀬にメールで『ゾーンに入れるように努力している』とか書いてたんだろ?自分でゾーンに入れたと思ったことはあんの?」

赤司は答えた。

「まあ、速攻の時は限界点を超えるぐらいの努力はしているつもりだよ。」

「ふーん。」

青峰は赤司の答えに、やや鼻白んだようだった。緑間は言った。

「ゾーンなんて実際には架空の理論だね。ただの限界値越えをゾーンと仮定しているだけなのだよ。そんなものは個人個人の感覚だから、あると仮定するのも馬鹿げている。」

と言ってから、緑間は鼻眼鏡の仕草をすると、言った。

「昔の外国映画で『ストーカー』という作品に、SF設定でゾーンという謎の空白地帯が出てくるんだが、結局探査に行っても何ひとつ確実な情報はつかめず、すべては徒労に終わるという長い映画があるのだ。僕に言わせればそのゾーンなる概念はそういったたぐいのものだね。今はただ目新しいから、もてはやされているだけだよ。そのネーミングもその映画に寄ったものかも知れないのだよ。」

緑間の映画の話は赤司にも聞き覚えがあった。しかしそういう具合につなげて彼は考えたことはなかった。赤司は言った。

「たとえ机上の空論でも、精神修養には役に立つよ。禅でもなんでも、そうしたものだからね。」

青峰は答えた。

「俺は今の話はちょっと嫌だな。緑間はあんま自分のバスケに悩んでいないんじゃねぇのか。」

緑間は青峰に言った。

「ふつうに限界を超えられたという言い方をすればいいのだ。大げさなのだよ。」

桃井がやりとりを取りなすように言った。

「あ、あの、ちょっと話が固いね?今夜の大文字はどこからだとよく見えるのかな?赤司くん知ってる?」

赤司は答えた。

「市内からだと、どこも人が多くて予約していないと無理だね。そういうところを。」

「あ、そうなんだ・・・・。」

桃井は赤司の言葉に黙り込んだ。少し冷たかったかなと赤司は思ったが、なぜ彼女が青峰たちについて来たのか、理由がわからずそっけない態度になった。赤司は言った。

「黄瀬たちはさ、京都にはいつまでいるの?」

「明日には帰るわ。どうしても京都に来たいって言ったから。」

「おまえが?」

「うん、俺だね。大文字だけ見て帰る。」

「なんだよそれ。」

「別にいいじゃん。暇だったし、モデルのバイト代で金入ってたし。」

赤司は釈然としない黄瀬の態度に、なんとなく腹が立った。黄瀬は最初からどこか他人事の態度でいた。黄瀬は冷やかすように言った。

「しかし桃井サン、ご両親よく京都に行くの許してくれたね?寛大な親っスよ。紅一点で。」

桃井はあわてたように言った。

「お母さんが青峰くんがいるならいいって言って。幼稚園の時からの保護者なんだよ。」

青峰は言った。

「腐れ縁ってやつだな。こいつ一人だとチケットもなんにも取れやしねぇ。」

「うるさぁい。別にいいじゃない。そのうち一人でも行けますよぅ。」

桃井はかわいくふくれた。青峰はにやにやしながら言った。

「なんでもお母さんお母さんじゃねぇのか?幼稚園児引率している気分だぜ。」

「言い過ぎじゃない?」

「言い過ぎじゃねぇよ。なあ赤司?」

赤司は急に話を振られて焦った。仲がよさそうな二人のやりとりに気押されていた。赤司はごく当たり前のことを口にした。

「そうだね。少し桃井さんがかわいそうかも。」

「ほらぁ、やっぱりぃ。赤司くんだって、お母さんに旅行のことは相談するわよね?」

 赤司はその瞬間、息が詰まりそうな気持ちがした。彼は早口に答えた。

「母親は、いないんだ。僕が小学生の時に死んだから。」

桃井はしまったという顔つきになった。「あ、ごめんなさい・・・。」と彼女は小声で赤司に謝った。しかし赤司の胸のつかえは取れなかった。赤司は言った。

「桃井さんが謝ることじゃないよ。」

その後のことは赤司はよく覚えていない。たぶんみんなで大文字の送り火は見たのだ。送り火の切れ端を人混みの中で。宿泊先のホテルに行くという一行と別れて、寮に戻ったときは、赤司は精神的な疲労を感じていた。楽しい同窓会のはずだった。そうではなかった。なぜこんなに心が苦しいんだろう。赤司はドサ、と寮のベッドに体を投げ出した。それはバスケットで体が苦しいときのものとは違っていた。

昔とは違う桃井さん。明るい、青峰と笑って楽しそうに話している桃井さん。馬鹿だな、俺は・・・。そう思った。彼女は僕を見ていない。でも僕は、あの彼女が見ていないところでなんにでも勝たないといけない。今までだってそうだった。僕のお母さんももう何年も僕のことを見ていない。今までもそんな状態だったんだ。それに桃井さんが加わることは、別にたいしたことじゃない。赤司の目の前で四角いデジタル時計がチカチカと光っていた。彼はきついまなざしでそれを力一杯にらんだ。僕の時間と桃井さんの時間は違う。それは今にはじまったことじゃない・・・。自然と涙が湧いてきた。

僕はこんなにもくやしいのに。もうあいつも僕のことを見放したんだな・・・・。赤司は涙を振り払うように、暗がりで猫のように体を丸めた。「彼」は母が死んだあとのように、やはり慰めに出て来てはくれなかった。もう僕の飼っている箱の中にはいないんだ。昔父に隠れて飼っていて死んでしまったカブトムシみたいに。生きているか死んでいるかわからない箱の中の猫、それは僕自身のことだ。赤司はそう思った。

だからやがて意識を手放して静かな寝息を立てはじめたころ、暗闇に何かの気配が立ち上ってくるのを、彼は少しも気づかなかった。