Off white

青春ものの小説ブログです

笥(はこ)詰めの恋 2

洛山高校のバスケット部監督は白金監督という男で、最初一年生の赤司はふつうのレギュラーメンバーだった。レギュラーの部員にはのちの誠凛との決勝戦で組んだ根部谷永吉、葉山小太郎、実渕玲央がいた。彼らは全員二年生だった。赤司は親から離れて学生寮で暮らすことになったが、勝手の違う寮生活にとまどうこともあったが、すぐに慣れた。彼にとっては学業と同じ些末事だった。彼は父が自分を経済界に強い東京の受験校に進学させず、この洛山に入学させたことに感謝した。帝光でも受験校を選ぶ進学組がいたが、彼は現在の自分の身体能力の高さの方が、そういう学業の成績よりも誇れることと思った。そういったことは人生のあとからでも取り返すことができる。しかし帝光で決裂した、黒子をはじめとしたあの一軍のメンバーとの確執は、今を逃すと取り返すことができない。インターハイで優勝することが目下の目標だった。何よりも卒業間近で退部届を提出した黒子の自分への反撃が、彼には許せなかった。彼は赤司の影でなければならなかった。せっかく目をかけてやったのに。赤司は黒子はもうバスケ部には入らないだろうと思っていたが、空白期間は四月の最初だけで、すぐに風の噂で誠凛のバスケ部に入った話を耳にした。噂を流したのは、東京にいる黄瀬からのメールだった。「黒子っちまたバスケ部に入ったよ。俺たち当たるかもね。」と書かれていた。赤司は黒子のはじくパスの受けやすさを思い出して、それが他のやつに使われるのかと思った。しかしすぐに忘れた。メンバーは試合ごとに交代するし、違う高校だからどうにもできない。自分に黒子の代わりの人間を探すことの方が先決だった。

元バスケ部員の三年生の黛千尋を見つけたのは偶然だった。ライトノベルばかり何十冊も図書館で借りていて、影が薄い学生だった。赤司もそういう本を手にとったことはあるが、目がすべると思い、一読して読まなかった。彼が注目したのは、そういうおよそ同じようなあらすじの本を何十冊も読めるというある種の忍耐力と、その従属性である。隷従性と言ってもよかった。黛に声をかけると、勧誘と思い嫌そうな顔をしたが、シュートを確実に決めなくてもいいという話をすると怪訝そうな顔をし、赤司に根負けしてついには再入部を承諾した。パスカットだけでいいって?赤司はその理由を黛には言わなかった。そのころには赤司は監督から主将につくように言い渡されていた。毎日遅くまで体育館で自主トレに励み、実際それで二年のメンバーを練習で黙らせたこと、またリーグ優勝した帝光出身などが理由にあげられるだろうが、実のところ赤司が監督の薦める本などを熱心に読んで進言していたことによる。プロの有名選手によるその著作物には「ゾーン理論」という独自の精神論が書かれており、その当時のスポーツ理論のひとつだった。赤司は単なる禅の理論に基づいた日本古来の精神論をカタカナ言葉に置き換えただけだと思ったが、監督の言うところの「ゾーンに入る」ということを自分でも自覚しようと思った。それは赤司の分身である「彼」が心の中に出現するときと似通っていると思った。「彼」はゾーンの扉の前にいると書かれている、重い扉の門番だと思った。そこにたどり着くのはとても苦しい。何十回も正確な手元を見ないドリブルをこなし、ハーフゾーン以外からのシュートを正確に決める努力をしなければならない。赤司は自分の身長が根部谷などの巨漢に比べると差異が大きかったことから、敏捷性で勝負するしかないと思った。そういうメニューをこなして、夜遅く寮に戻ってくると、自分には余裕がまったくないなと彼は苦笑した。帝光時代のことはだんだん遠くなってきていた。あの思い出を黒く塗りつぶしたい。そう思っていたのに、その思い出はだんだん輪郭のない箱のようになってきていた。それだけ彼のいる京都は東京からは遠かった。そういう赤司自身の変化に呼応していたかのような出来事が、その夏にはあった。

インターハイで洛山は順調に決勝戦にまで勝ち進んだのだが、彼が帝光で仲間たちの前で言った、「次は敵としてやりあおう」と誓ったメンバーたちに、その試合で当たることはなかったのである。黒子の入ったらしい誠凛は予選落ちだったし、決勝戦で当たった桐皇には青峰の姿はなかった。海常の黄瀬とやりあった準々決勝でのプレーでひじを痛め、故障のため決勝戦では欠場したのである。赤司は主将としてヒーローインタヴューを受けたが、「青峰くんが出ていたら結果はもっと違っていたのかも?」という質問に対して、「それでは面白くも何ともありません。」と答えた。要するに赤司自身が青峰の欠場が面白くない、という意味で言った話だったのだが、テレビを見ていた桃井には違って受け取られたようだ。彼には勝つことが当たり前になっている、と彼女は誠凛の連中を訪ねたとき黒子に言った。それらは赤司にはあずかり知らぬことであった。当たり前という風に見える影で、彼は努力していた。次の秋の国体のあとの冬のウィンターカップが正念場だった。残りの夏も彼は東京には帰省せずに、京都で練習のために過ごした。父のいる東京の豪邸には帰りたくなかった。父が「おまえが勝つのは当たり前だ」といつも夕食時に言っていたことも、反発の理由のひとつだった。このインターハイでの優勝も、父にとってはそういうことになるに違いなかった。父の住む世界の経済界では、バスケットボールは児戯に等しいのだ。自分もいずれはそういう大人になると考えることは、赤司にとってはたまらないことだった。そうしてその年の夏は暮れようとしていた。