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青春ものの小説ブログです

Over 2

洛山の寮の部屋で電話を切った赤司は、相部屋の同室の者に「少し出かけてきます」と声をかけて外に出た。夕刻、学生寮から出て裏山の裏道を上ると、視界が開ける場所がある。散策の場所に決めている地点だった。見降ろすと、京都の東山の街並みと東寺の五重塔が見える。あの場所もこんな崖の上だったな、と赤司は思う。ポケットから北海道のネットで印刷した地図を取り出す。スマホの画面では書きこみができないから、印刷したもので検討する。行ったのは夏のはじめだった。

あいつの所在を突き止めたのは、ウィンターカップの終わった後だった。借金逃れで転々と住所を変え、東京の近郊の古ぼけたアパートにその中年の男は住んでいた。あのトレーラーの運転手だった。もともと賭博にはまって多額の借金をこしらえて、首が回らずトレーラーをあの時高田晴美の言うとおりに動かすことを承諾したのだった。もうあれから十年はすぎていた。彼はしかし警察には書類送検だけで法の裁きは何も受けず、こじんまりとした小市民生活を営んでいた。独身、身よりはほとんどなし。そういう地方から出てきたおこぼれものの吹き溜まりの一人だった。赤司は遠目にスーパーの袋を下げて歩く男を目視で確認しただけである。会って話すつもりは最初からなかった。高田晴美の時のようにおびき出して殺すのも、赤司には面倒に思えた。自分の気持ちが萎えたのではない。自分の知り合いでも何でもない男。できれば他人のまま葬りたい。そう思った。接触すれば足がつくのも理由のひとつだったが、気持ち的に腫物に障るような感じがしたからだった。母を殺した理由がはっきりとあった高田晴美に対しては、あの時燃えるような殺意を感じたのだが、この男はただ単に借金の片に母の殺害に手を貸しただけだという気持ちがあった。それでもその存在は打ち消したい。そういう、赤司の心の染みか影みたいな存在がその男の存在だった。

人の気持ちを動かすことは自分には無理だ。でもあのウィンターカップの試合中で、自分はアンクルブレイクを仕掛けたつもりはなくても、派手に敵選手たちは転んでいた。あれが自分にはできないか?もう一度。木立の中で、赤司は精神を統一してみようとした。しかし念じたところで、林の中の木の葉ひとつ落ちなかったし、「彼」も赤司には何も話しかけてこなかった。「彼」には「消えろ」と言ったこともあったのだった。こういう時には出てこないのか。赤司は唇を噛んだ。赤司は「彼」の協力で、この男を北海道の崖の上から突き落とすことを今計画している。偶然学生食堂のテレビで見た番組で、母の日なので母恋駅にやってきました、というバラエティ番組があった。ネットで調べてみると、近くに日本有数の断崖絶壁がある。母恋駅というネーミングで動かされた自分が軽いとは思ったが、北海道の僻地なら警察にもわからないという目論見があった。どうせ殺すならそういう場所がいい。男のアパートからほど近い東京湾に突き落とすだけだと、想定内の出来事でつまらない。あの母のための、一生にもう一度しかない復讐行なのだ。幸い軍資金は父からの通帳振り込みで潤沢にある。詩織の死後おかしくなった赤司を持て余して放任主義になった征臣は、赤司が親の元を離れて京都に行くと言った時から、以前にも増して赤司に冷淡になっていた。愛情の代わりに金さえ与えておけば安心といった態なのであった。だから殺(や)るなら北海道だ。それは桃井には決して言えないことであり、ましてやキセキの仲間らには言えない話だった。今度こそ完全犯罪にしてやる。古賀さんだってもうこの京都にはいないのだし、僕ひとりの裁量でやりきる。その時こそあのおかあさんの魂は浮かばれるんだ。もう古賀が何と言おうと知ったことではない。夏冬連覇でバスケットで日本一にはなれなかったことで、赤司も意地になっていたのか。そうではなくて、赤司自身ももう中学生ではなかった。彼が今考えていることは、自身が日本一になって箔をつけることではなくて、真に母の魂が鎮められることだった。どう考えても母の死にざまはひどすぎた。そして父はそんな母に一顧だにしない。だから自分が死んだ母の喜ぶことをして恨みを晴らす。赤司の今考えていることはそれだった。ウィンターカップで敗北したことで、彼は確かに一皮むけたのだが、しかしまだまだ途上にあった。

その夜、赤司は夢を見た。自分はあの北海道で見た海岸線の端に立っている。どこまでも続く茫漠とした砂浜、その足元に白い木の棺がある。おかあさんの棺だと思って赤司は中を見て驚いた。中に眠っていたのは桃井だった。桃井は棺の中でたくさんの白い百合の花に包まれながら、ゆらゆらと揺れて赤司の目の前からゆっくりと沖に向かって流されていく。風に揺れる百合の花が見えなくなるところで、待ってくれ桃井さん、と大声で叫んだところで目が覚めた。赤司はがば、と起き上がったがまだ深夜だった。同室の者は暗がりで静かな寝息を立てていた。自分は今実際に声に出して叫んだのではなかろうか。赤司はびっしょりと寝汗をかいている頬を掌でなでた。そう言えばこんな小説を最近読んだような気がする。夏目漱石だったか三島由紀夫だったか・・・大学生になった黛からラノベ以外の本も読んでいるんだぜ、と言われて貸されたものだったと思う。

黛はもう引退式を、欠席はしたが過ぎて卒業したが、たまに会うこともあるのだった。どういうつもりか知らないが、黛は時々思い出したように連絡してきた。ほとんど赤司にとっては使い捨てみたいなスカウトだったのに、黛にとってはそうではなかったようだ。気にかかる後輩ということで、彼は赤司にどうしている、と言って会いたいんだけどと言うのだった。そう言われると赤司は何となく断れず、出向いて行って会って話をする。それは黛を試合で利用したという負い目もあったのかもしれない。黛にはもちろん桃井の話はしたことはないし、赤司も自分の桃井への気持ちを黛に相談などするつもりもない。何と言っても「林檎たん」などというキャラが出てくる小説を愛読している黛に、実際の恋愛を相談など考えただけでもおかしい話だった。だからその夢は偶然見たものだ。

赤司は起き上がって部屋の本棚を物色した。黛から貸された本は漱石の「夢十夜」だった。途中まで読んで、そのまましおりを挟んで忘れていた本だった。ページを繰っていくと、「第一夜」にもう今にも死ぬ女に百年墓の前で待っているように言われるという話があった。あいつ、ひょっとしてわかっていて貸したのではないか?黛に母が死んだ時の話はしていないが、母がすでに他界していることはウィンターカップのあとにカフェで話したことがあった。黛の行動にはそんなところがあった。黒子と同じく影の特性がある彼は、人の気づかない影を踏んで生きているようなところがあった。「会いたいんだけど・・・・。」と電話越しに言う黛の湿った声は、そんな感じの日陰の声だった。自分は今そういう影たちに付きまとわれているな、と赤司は思った。そして肝心の、いてほしい影の「彼」は僕の傍にはいない。こんな状態では桃井さんにはとても会えない。桃井さんに会うとすれば、僕が完全犯罪を成し遂げた後でなければならない。桃井に旅行の話をしたのは軽率だったかもしれないが、桃井さんには自分の行動の軌跡をどこかで知っておいてもらいたいと思う気持ちがあった。あの中学の時、クラスの教室で錯視の本を見せびらかしたのも、そうした赤司のデモンストレーションのひとつである。ストーカー的な犯罪心理の一種と言っても過言ではない。それで足がつくかもしれないということよりも、桃井に知っておいてもらいたいという気持ちが弥増さった。それだけ赤司にとって桃井は、母に連なる重大な人間だと言えた。桃井さんにはこれからも僕が殺(と)ってきた獲物をそれとなく見せるさ。「彼」のあいつも、またバスケットの試合中に出てくるに決まっている。猫のようにやつの首根っこを押さえて僕の言うことを聞かせる。あいつは考えてみても、僕に手を貸し続けているんだから、きっと僕に気があるんだ。桃井のことをうらやましそうに言っていたからな。赤司はそう考えると、漱石の「夢十夜」の文庫本のページをぱたんと閉じた。もう顔の汗はひいて、いつも通りの、自己采配の見事な赤司であった。桃井がその犯罪を実行することでどう思うか、赤司の脳裏にはないのであった。そればかりか事情を知れば桃井さんも一緒に喜んでくれると赤司は考えていた。たとえ復讐という言い分があったとしても、犯罪を犯すことに少しも疑いを持たないこと、それはやはり間違いと言える。だからその夢は、赤司の深層心理からの、あるいは「彼」からの警告だったのかもしれない。しかし赤司はそれを考えることはなかった。赤司は本を棚に戻すと、また寝床で横になって寝入ってしまった。

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Over 1

もう何年前になるだろう。桃井は昔のカレンダー手帖を見返す。今では開くことのないページ、高校のバスケット部のマネージャーをしていたころのもの。その手帖の高二の春休みの時に、空白がある。約一週間部の予定が書いていない日付。私が蒸発していた時。彼と――赤司くんと・・・・。その一か月ぐらい前にあの、アメリカから来日したジャバウォックとの試合があった。あの試合中に彼になんらかの「変化」があったのだった。それは彼から後で聞いた話だ。それで彼はある能力に目覚め、あの男をあんな場所まで追い詰めたのだった。あの試合がなければ、彼はああしなかった。そして今私がこういうことになることもなかった。桃井は自室の机の引き出しを開けてみた。彼からのプレゼントの小さな指輪ケースが入っている。それはこっそり贈られたもので、彼の父の征臣はまだ知るところのないものだ。彼の父は私を許すだろうか。彼には理解のない父親だと言う。彼が勝手に決めた私との婚約も、彼の父はきっと反対するのだろう。それでも彼はいいのだろうか。桃井は暮れなずむ夕焼け空を眺めている。彼もどこかでこの空を見ている。そう信じたい。桃井は膝を立てて座り、部屋の壁によりかかって考えた。今あのころのことを思い出してみる――高校二年のあの冬を。

 

地球岬?変な名前の場所ね。」

室蘭市にあるんだ。この前の夏休みに行ってきたんだよ。」

「そう。北海道まで。京都からは遠いでしょ。」

「うん、急に行きたくなって。」

「どうして?」

「地球の丸みが見えるぐらい開けた場所があるんだって聞いてさ。断崖絶壁が13キロも続いているんだよ。自殺の名所かな。」

「やだ、赤司くん、変なこと考えたんじゃないんでしょうね。」

「まさか。室蘭本線の母恋(ぼこい)駅から車で10分だよ。北海道だけど暑かったなあ。」

「ふうん。ウィンターカップのこともう引きずってないのね。安心した。」

「ああ負けたこと?いつまでもぐじぐじ思っていてもね。」

「そうそう。」

「じゃあまた。」

「うん。」

桃井は電話を切った。赤司からの電話は久しぶりだった。十月に入った第一週ぐらいの電話だった。リコからジャバウォックが来日する話をされ、リコの父親が彼らの来日試合をプロデュースする話を聞かされていた。リコの父親は帝光のキセキのメンバーを集めたがっている。その話をされ、桃井が連絡を個別に取っていた。そのやり取りで、赤司とも連絡するようになった。あのウィンターカップの別れ際に会ったことで、最初はぎこちなかった二人だが、何度か電話をするうちに、こういう日常的な話もするようになった。桃井はもちろんまだ自分の気持ちを赤司には打ち明けていないし、赤司からもそのようなことは言われていない。だからそれは、昔の帝光時代の主将とマネージャーのつながりが復活したようなものだった。桃井はメールは打たないようにしていた。何か勘違いされたら困る。それぐらい慎重にしていた。直接電話で話をするだけ、そういう実のある関係にしておかないとと思った。黄瀬とは赤司はメールでやり取りがあると聞いていたが、それも自分には荷が重かった。友達が聞いたらなんて歯がゆいと言われるだろう。それでもよかった。何よりも中学の卒業式で「そんな赤司くんは嫌いだ」と言ったことを、当の赤司からそんなに気にしていないよ、あのころは僕も少し軽率だったからね、と電話口で言われて安心してしまった。赤司くんはやっぱり気にしていないんだ。だって中学のころだからね。桃井さんだってあのころとは変わっているだろう?僕もそうだけど。桃井は受話器の前で赤司が目の前にいないのに、うんうんと大きくうなずいてしまった。ごめんね、ごめんね。もう二度とあんなこと言わないから。私どうかしていたんだよ。そう?桃井さんらしいと思ったけど僕は。私らしいってどういうこと?じゃあね、またいつか電話するから。桃井は言って電話を切った。桃井は顔が自然と緩んでくるのを止められなかった。赤司くんがあの時の私を許してくれた。どうしてこんなにうれしいんだろう。その赤司と再会できるチャンスをくれたのだから、あの疫病神のアメリカから来た連中にも、桃井は感謝しなければならなかった。しかしこの時はまだそれも予感すらしなかったことだ。電話の向こうの赤司が実際はどう思っているのか、桃井の知るところではなかった。桃井はひとりつぶやいた。

「北海道か・・・。どうして行ったんだろう、赤司くん。一人だったのかな・・・・。」

今年のインターハイの結果については、すでに知るところだった。洛山はいい成績で終わったのだが、それでも優勝ではなかったのだから、赤司にとってはウィンターカップに続いての不調だったのかもしれない。でも、もういい。電話口の向こうの赤司は明るい声だった。あの帝光時代の写真を渡したことも、いやに思っている風ではなかった。いつまた会えるのだろうか。桃井はそれだけを考えた。未来は明るいものだと思った。

(赤司くんががんばっているんだから、私もがんばるんだ。青峰くんも故障、治ってきているんだし。)

そう桃井は思った。

 

 

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あとがき

一作だけのつもりが続いてしまった。他ジャンルのものも書いているので、自分でも黒バスにはまりすぎと思っているが、頭で考えていてできあがってしまったのでつい。まあこうして「転ぶ」ということになるのかと思っている。そんないい加減な私である。

 

今回の話は、前作「笥詰めの恋」では駆け足で書いた帝光時代の赤司くんの話である。今回の話はねつ造ネタがものすごく多いので、面白いと思ってもらえるかと思う。なにしろ赤司くんの過去話をはじめ、オリジナルキャラも何名かねつ造している。こんなのはおかしいと思う人も多いと思う。ただ帝光時代は人気のわりに地味な話と思っているので、もう少し派手めに展開させたら面白かったのにと、原作コミックを読んでいて思った。それでねつ造した。容易に元ネタはわかると思うが、古賀さんのモデルは名作「バナナ・フィッシュ」に出てくるブランカである。また赤司くんの家庭事情は一世を風靡したTBSのドラマ「ずっとあなたが好きだった」から引用している。このドラマの主題曲のサザンの「涙のキッス」は今回iTuneでダウンロードした。冬彦さんの顔は少し赤司くんに似ている。と書くと怒るファンの方もいるだろうが、そんなことを思いながら文章を書いていた。しかし赤司くんの母親の話など、ものすごくねつ造が多いので、原作が絶対と思う人には反発されるだろうと思う。ただ私は、赤司くんの目が「エンペラー・アイ」と言うのなら、これぐらいの説明がほしかった。母親の死亡の瞬間を目撃する。それが生涯彼の枷となる話。彼がどうしてもバスケで勝たないといけないと思っている理由。また髪の毛を切ってみせた理由。それらを包括できる話をしてみたかった。それで書いてみた。

 

あともうひとつ参考にしたドラマは、同じくTBSのドラマ「誘惑」である。偶然の目撃場面が多いことと、赤司くんの犯罪的誘惑な部分はこのドラマによっている。山下達郎さんの主題歌「エンドレスゲーム」もよく聞いていた。この曲でははるかな昔、トルーパーでもSSを書いた。何かと縁がある曲なのだなと思う。それだけあのドラマはよくできていた。到底あんなレベルの話など書けないが、リスペクトはしている。これはそういう作品だ。

 

しかしながらラストゲームについては、私はまだ映画版を見ていないし、どう書けばいいのかまったくわからないので、ひとまず帝光時代の話を書いたということで許してもらえないだろうか。それにしても東京には数回しか行ったことはないし、バスケットのことはあいかわらずまったく何もわかっていない。そんな群盲が象をなでるような話をまた書いてしまった。至らない点は多々あると思う。ただ私の創出した中学生日記を読んで、この赤司くんが素敵だと少しでも思ってもらえたら幸いである。

 

 

 

 

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緋色の領分 10

桃井は青峰と同じ桐皇に行くことになった。地元で進学しやすいところを選び、青峰と同じで親の安心する高校だった。赤司は京都の洛山高校に行くことになった。前任者の監督の白金監督が、その高校の監督になるというので行くという話だったが、選手の青田買いだったのだろう。しかし本人も京都に行くことに納得したのだ。桃井にはつらすぎる卒業までの時期だった。赤司があの明洸戦で点数に「1」の数字を並べた真意は、桃井にはわからなかった。赤司のことは好きだった。しかし最後に来て裏切られたと思った。もう会うことはないのだ。それなら、最後に一言言うべきだ。自分の気持ちとして落とし前をつけておきたい。桃井はそう考えていた。

卒業式は曇り空だった。三月のこの時期は晴れることの方が珍しいのだ。校舎で記念撮影している同級生たちを後目に、桃井は赤司の姿を探した。いた。校門のところで、所在なさげに彼は立っていた。もう門から出ようとしていた。ほとんどの生徒がもう帰ったころだった。

自分は今泣いている。赤司との中学時代の恋を葬り去るつもりで今泣いている。好きにならなければよかった。こんな気持ち、自分でも嫌だ。そう思った。やはり今までのとおり、赤司を見つめると好きという感情で目が吸い寄せられるのがわかった。頭では彼のことを嫌いにならなければならないと思っている。でも心がそう動いてくれない。今まで何度も好きと思って見ていたからだ。それに今から嫌いという感情を上書きしないといけない。でも、心がそう動いてしまう。人間だから動くんだ。人間だからそう見えるんだ。いつの赤司の言葉だっただろうか。桃井は泣きはらした目で赤司の前に立った。

「赤司くん、京都に行くんだってね・・・・もう会うこともないね・・・。」

赤司は桃井の泣いている様子に、気づかわし気に言葉をかけた。

「桃井さんは高校でもバスケ部に入るの?」

「うん・・・・赤司くんにまた会えるのなら、バスケ部でマネージャーをやるよ・・・・・。」

赤司の表情が少し動いたようだった。

「そうなんだ。桃井さんもがんばって。」

桃井は最初口の中でつぶやいた。

「・・・さしくない赤司くんはきら・・・・・。」

「え。」

それから大声で叫んだ。

「やさしくない赤司くんは嫌いだ!そんな赤司くんは!」

桃井の目にどっと、あとからあとから涙があふれてきた。言いたくなかった。彼を傷つける言葉は。でも、言わないといけない。今、言わないといけない。

桃井の叱責が赤司の心に響かなかったと言えば嘘になる。しかし赤司の心はその瞬間、遠い時空に飛んでいた。桃井の言葉は母からの言葉だった。そう思った。母がどこかで見ていて桃井にそう言わせたのだと思った。そう感じた。それは長い暇(いとま)だった。赤司の心は中学時代のいろいろな時空を飛んだ。ある時はバスケットの全中の試合中であり、ある時は高田晴美とレストランで会話をしていた時だった。あるいは晴美に犯行に及んだ現場だった。それらを一瞬で桃井の言葉は突き抜けた。

赤司は言った。

「僕のこと、嫌いだったんだね・・・・。」

桃井の目は激しくさまよっていた。だから次に赤司のした行動には彼女は目を見張った。彼はやさしく桃井を抱き寄せていた。そして耳元で低くささやいた。

「ごめん、桃井さん。行ってくるよ。」

 

桃井は帰宅した部屋で、その晩一晩中泣きぬれた。彼にあんなことを言うのではなかった。もう取り返しがつかない。赤司は京都への新幹線の車内で桃井のことを思った。洛山のバスケ部でまた新しい女性マネージャーがつくかもしれない。でもその人はおそらく僕にとって桃井さんほどのことはない。桃井さんとのことは僕は一生忘れない。何十年かたって、記憶から消えるほど昔のことになっても。それを桃井さんは少しも知らないんだ。どんなに桃井さんが僕のことを嫌いであってもね。

京都に着く車内アナウンスが流れ、赤司は列車から降り、改札口を出た。京都駅では時刻はもう夜だった。さようなら、桃井さん。赤司は夜の街に向かって歩き出した。

 

完・2017年6月23日脱稿

 

 

 

 

 

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緋色の領分 9

「これから先は、淘汰だな。それは内も外もだ。」

と、試合開始前に冷たい目をして赤司は言った。赤司の提案に緑間と黒子以外のメンバーは合点したようにうなずいた。

全中の夏の全国大会が始まった。帝光は「キセキの世代」の活躍で、向かうところ敵なしで勝ち進んだ。しかしそれは青峰らの個人プレーの賜物であり、誰がどれだけインできるか試合中に競うといった趣向で試合は進み、黒子などははじき出された様子で、試合中も孤立していた。要するにチーム一丸となって戦うのではなく、個人個人のプレーでの競争という赤司の提案に精神的についていけなくなったのである。赤司の提案も帝光が特別強いチームであったから、できたことであった。またメンバーも己が力を持て余しているところがあった。青峰と紫原は特にそうで、何か憎しみをぶつけるように、ダンクシュートを立て続けに決めた。それも練習に出ていなくても、立派に試合ではやってみせるという監督への筋を通すためであった。

去年の試合で当たっていた中学と当たった因縁の試合で、黒子は帝光の攻撃に焦った選手から頭をボールで殴るペナルティをくらい、怪我をしてしまった。それもまた赤司の提案した個人プレーや煽りの余波と言える。試合を見ていた黒子と文通していた明洸中の萩原は、気になるので黒子が収容された救務室にまで見舞いに来た。ちょうど赤司もその前に立っていた。赤司は言った。

「君は?」

「明洸中の萩原と言います。黒子くんがけがをしたみたいなので。時にあんたら、よくあんなバラバラな試合をしますね。それで黒子は殴られたんじゃないですか?」

「個人の実力を抑えるやり方はうちはしていないのでね。勝つためには。」

「それでバスケットが面白いんですか?楽しくないバスケなんてやっていて意味があるんですか?」

「・・・・・なるほど。そういう考え方もあるか。楽しくないとやってはいけないと言うのか。」

「勝ち負け以上に大切なことがあんだろ?あんた、黒子に謝れよ!」

「・・・・面白い。覚えておこう。」

部屋で黒子と面会している萩原にはそれ以上何も言わず、赤司は選手控えに戻って言った。

「次の試合の明洸戦には、黒子は出場できないな。」

緑間は無言だった。彼は黒子のバックアップにできるだけ回っていた。孤立していては、黒子は影として使われることはないからだ。紫原たちが言った。

「そろそろ点取りゲームも飽きてきたんだよね~。ミドチン、おは朝の今日の星座のラッキーナンバーは何?」

「1だな。験がいい数字だが。」

「じゃーそれで行こうか。ねえ峰っち?」

「んあ?」

「ゾロ目でそろえようよ。まあ相手の出方にもよるけどさ。赤ちんはどう~?」

赤司はその時ためらった。紫原の言う意味は彼にはすぐにわかった。スコアのゾロ目ぞろいは、こういう試合をしているやつの間で、なかば神聖化している数字である。験がいいというだけの話だが、皆のやる気が出る数字だ。その時、赤司は心の底で思った。古賀の前で言ったあの「日本一」という自分の言葉だった。今はまだ全中での試合にすぎない。中学レベルなのだ。それでも、同じ「1」でそれは魅力的な話だった。彼にはその時そう思えた。それで本来なら主将としてたしなめないといけないところを、彼は止めなかった。

「・・・いいだろう。好きにやってみせろ。」

と、赤司は言った。

試合開始で、救務室から桃井に付き添われて出てきた黒子は、しばらく選手控え席から見ているうちに、わなわなと震えだした。

「この試合は・・・何か変です・・・。皆が本気でやっていないし・・・・。」

「え・・・・?」

「点数の取り方がおかしいです。ほら、今もペナルティで・・・。」

桃井はスコアボードを見た。明洸とは力の差がありすぎるのは明白だったが、それでも何かおかしい。「1」という数字が並んでいる。まさか、ゾロ目ねらい?桃井もその話は聞いたことがあった。黒子は耐えられないように叫んだ。

「萩原くんに申し訳なくて・・・・!大会で、正々堂々と一緒にやろうって言ったんです。なのに、僕は欠場していて、しかもこんな試合・・・・・・・!」

「黒子くん・・・・!」

桃井はその試合を最後まで見ていられなかった。こんなことをする人たちとは思っていなかった。その中心に赤司がいるのが耐えられなかった。

大会では優勝したが、その後の学校に戻っての反省会では黒子を中心としたつるし上げ大会となった。黒子がこの明洸戦のことを絶対に許さないと言ったからである。

「僕はあんな試合は認めません。どういうつもりか知らないけど・・・弱い者をいたぶって、面白がって、そんなのはスポーツマン精神に反します。」

「おいおい、謝ってもらいたいのはこっちだぜ。なんで強い方が試合を楽しんじゃいけねーんだ。」

「青峰くん。」

桃井の言葉に青峰はそっぽを向いてふてくされた。赤司は黒子に言った。

「漫然と点数を取るよりは集中できた。試合をコントロールしただけだ。」

「コントロール?そんなのは人間的なことじゃないです。」

「友達だから手加減しろと言いたかったのか。」

「違います。僕の言いたいのはそういうことじゃなく・・・情のないバスケットだということです。」

緑間は言った。

「対戦相手に友達がいたとはな。そういう話は事前に言ってもらいたかったのだよ。」

「友達がいるから本気で当たれないことこそ、スポーツマン精神に反するな。」

赤司の言葉に、黒子は涙をこらえ肩を震わせて答えた。

「・・・・もう、いいです。僕はクラブをやめます。」

黒子の精いっぱいの抵抗だった。その週、黒子は監督に退部届を提出した。

桃井は黒子の言葉に身を切られるような思いがした。クラブは今や皆がばらばらだった。楽しいクラブだったはずなのに、どうして・・・・。そして赤司が確かに以前とは変化していた。以前はこんなことを言う人ではなかった。黒子にも何度も優しく指導してくれていた。一体どうしてなの。そう桃井は思った。それでも自分はまだ赤司のことを好きなの?桃井は自分自身への問いかけに答えられなかった。卒業はもうすぐそこに迫ってきていた。

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緋色の領分 8

梅雨前線が北上していた。その日体育館では一日雨降りだった。室内での練習のみで、部員の数も三々五々だった。青峰がまた練習をさぼりでいなかった。赤司もドリブルなどの練習をしていたが、どうも調子が出ない様子だった。桃井はこういう日もある、と思った。次の大会までの余白みたいな日だった。紫原が雨で気分が乗らないと言い、練習がうっとおしそうだった。紫原は最近急成長してきている。桃井もそれには気づいていた。先日も練習でダンクを決めた時、赤司らにパスを回さずに単独でインしてしまった。「俺に回した方が確実だったじゃないか」という赤司の一言にも、紫原は一瞥を投げただけである。そうした二人の不穏な空気は、桃井も見ていて不安に思っていた。桃井は思った。

(この急成長が、私にはすごく怖い・・・・。)

紫原はしばらくそれでも練習していたが、やがてボールを放り投げると、赤司に言った。

「峰っちが来ないんなら、俺もやめよっかな~。オレ負けるの嫌いだし~だから今まで練習には出るようにしていたんだけど~、練習しなくても勝てるんだったら、俺だってしたくないんだよね~。」

「それは青峰のことを言ってるのか?」

「そーだよ。あいつ練習しなくても試合でだけ勝てたらいいって監督に言われたそうじゃん。俺もそれでいきたい。」

「なんだと?」

「俺も今まで赤ちんの言うこと聞いてきたのはさ~赤ちんには絶対勝てないと思っていたからなんだよね~でも最近そうでもないと思うようになってさ~。」

「・・・・・。」

「俺より弱い人の言うこと、聞くのやだな~。」

「・・・・なんだと。」

体育館に残っていた部員たちはざわめいた。不穏すぎる空気が二人の間にはあった。

赤司はきつい表情で言った。

「今なんと言った?紫原。」

「だから、俺より弱い人の言うこと聞くのやだって。」

桃井はあわてて二人の間に割って入った。

「急に何言ってるのムッ君。冗談でしょ?あとで監督に・・・。」

言いかけた桃井は赤司に肩をつかまれ、どかせられた。

「どけ桃井。聞き捨てならないな、紫原。主将がチームで一番強くある必要はないが、そこまではっきり歯向かわれては話が別だ。自惚れるなよ。」

赤司はボールを拾い上げて言った。

「ワンオンワン。5本先取だ。少しお灸をすえてやる。」

紫原は侮蔑したように赤司に言った。最近赤司の調子がよくないのを、見ていて言っていることだった。

「どーなっても知らないよ、赤ち~ん・・・・。」

二人はボールで試合をはじめた。桃井は試合展開に目を見張った。赤司くんが負けてきている。緑間たちもこれには驚いた様子だった。

 「完全に紫原が圧倒している・・・?」

「信じられん。今ので4-0。赤司が追い詰められた・・・・?」

紫原はボールを持って言った。

「なんだ・・・もっと苦戦するかと思ったけどこんなもん?正直ちょっと、というかこの程度の人の言うこと聞くのはもう無理かも~。まいっか~どうでも~。」

と言うと、ボールをついて紫原は言った。

「これ決めたら俺の勝ちだし~。約束どおりこれからは俺の好きなようにさせてもらうから~。峰っちみたいに練習休むから~。」

赤司は焦点の定まらない目で前を見据えている。自分が「あの事件から」絶不調になってきているのはわかっていた。古賀さんともあれから会っていない。自分は最愛だった母の仇も討てず、古賀さんに言った日本一などという虚勢からもはずれたことしかできなくなっている。今の自分には何の存在価値もないんだ。それは赤司にとって、針の筵(むしろ)に座っていることだった。何よりも桃井が今自分を見ていることがたまらなかった。彼女の前で何かに負けることはあってはならないことだ。自分はすでに一度みじめにしくじった。これ以上しくじることはあってはならない。思い出すんだ、母が死んだあの瞬間を。あの血を吹き出してはじけ飛んだかあさんを。その瞬間赤司の脳裏に鋭く赫い衝撃が走った。退行現象と古賀なら言ったかもしれない。しかし赤司は明らかにそれまでとは精神状態が違ってきていた。僕が負けることは絶対にあってはならないんだ。かあさんを殺したやつに絶対に負けるもんか・・・!限界まで赤司の体の筋肉が引き締まった。それは母を殺したやつへの呪いだった。赤司はその呪詛を、自分自身に向かって厳かに唱えた。

「すべてに勝つ僕は、すべて正しい。」

 「えっ・・・抜いた?」

その瞬間皆は一斉に赤司の挙手の速さを見た。紫原のボールを信じられない速さで赤司は抜いていた。黄瀬と緑間、桃井は驚愕して叫んだ。

「ちょっ・・・・・今何が起きたんスか?」

「わからないのだよ・・・・。」

「赤司くん・・・・。」

(今までの赤司くんと違う・・・・?)

桃井は驚愕して目を見張っている。赤司は言った。

「少し調子に乗りすぎだぞ敦・・・あまり僕を怒らせるな。僕に逆らう奴は、親でも殺すぞ。」

紫原はその瞬間ぞわっとした。そう言う赤司の目は虚空を見て何も見ていなかった。

赤司は紫原をその後激しく追い上げて、試合は結局4-5で赤司の勝ちに終わった。紫原はふてくされたように言った。

「じゃ~明日から練習には来るからさ~。おつかれ~。」

と言って体育館をあとにしようとした。

「ちょっと、ムッ君!」

と桃井が怒るのに、赤司は止めるように言った。

「いや、来たくないのなら来なくていい。他の連中も同様だ。黄瀬に緑間もそうしたかったらそうしていい。」

紫原は不審に思い振り返った。

「え・・・・さっきと言ってることが違うじゃん。」

赤司は言った。

「試合に勝てばそれ以外は不問にする。以上だ。今のワンオンワンでよくわかった。チームプレイは必要ない。足並みを皆でそろえる必要はない。かえって枷になる。」

緑間は驚いて赤司に言った。

「正気か?チームで結束できなければ、試合に勝つことはできない。おまえの言葉とも思えないが。」

「僕は試してみたいのさ。それに一度ひびの入った皿は元に戻ることはないからね。修復できたとしても、それはもう別の皿だ。別の皿になったのなら、そのように使うべきだ。」

「どういうことだ?」

「元から僕には二人いて、たった今入れ替わったというだけだ。それだけの話だ。」

「・・・・・・。」

赤司の言葉に、黒子は当惑して言った。

「赤司くん・・・・本当に赤司くんなんですか・・・。」

「僕は赤司征十郎に決まっているだろう、テツヤ。」

赤司はそう言うと、体育館から歩き出した。すれ違いざまに桃井に言った。

「青峰くんのことは、ご苦労だったね。」

桃井はひやりとして、振り返って赤司を見た。

(赤司くん。)

赤司の背中は、桃井の追及を固く拒絶していた。 

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緋色の領分 7

ダイニングバーでは高田晴美は赤司の前でいろいろとしゃべった。今では会社の愚痴も多かった。赤司はあいづちを打っているだけだった。そろそろアクセサリー化されてきている、と赤司も気づいていた。マスターは気づかわし気に言った。

「晴美ちゃん、そんな若い子連れてきていいの?」

「お友達なのよ。ねー。軽いの一杯くれる?」

「いいの?車運転できないよ。」

「だーいじょうぶだからー。」

と、晴美が手洗いに立った時、赤司はマスターから見えないのを見計らって、素早く薬のカプセルの中身の粉をフィズに入れた。晴美に味が気づかれるかと思ったが、一緒に食べていた前菜の酸味で気づかなかったようだ。とにかくここに来るまで街角のトイレで制服を着替えたりして、用意にはいろいろ気を遣った。あと一歩だ。そろそろ、と思った赤司は話を自分から切り出した。

「晴美さんは動いていないものが動いているって見たことあります?」

「?なんのこと?動いていないものは動いていないでしょ。」

「僕はあるんですよね。そしてああこれはやっぱり動いていたんだなって思うと、とてもうれしいんですよ。」

「ふーん。それはバスケットの話?」

「ええ、バスケットでもありますね。見えないやつが実はそこにいたり、とかね。実はすぐそばに迫っていたり、とかね。ミスディレクションと言うんですが。」

「ミスディレクション?舌を噛みそうな言葉ね。」

「僕のおかあさんなら知っていたでしょうね。」

「そうね。古賀とバスケ部にいたからね。あーなんか眠くなってきちゃった。仕事押しているから・・・・。マスターそろそろお勘定。」

晴美はどろんとした様子で立ち上がった。

 「あぶないですよ。」

と、赤司は立ち上がってふらついた晴美の腰に手を回して支えた。

「そんなに酔ってませんって。おかしいわねー。」

と、晴美は言い車に戻った。

「家まで送るわ。一応年長者としてはね。」

と、晴美はけだるそうにアクセルを踏んで車を出した。助手席に乗った赤司は言った。

「時に晴美さん、8年前の会社の決算は覚えていますか。」

「会社の決算?うちの会社の?あなたとは関係ないわね。何の話?」

「父が持ち株の8割近くを僕の母の名義で買い付けましたね。それであなたの会社は父の会社の傘下に入らざるを得なかった。父と離婚話でももつれましたか。」

「そんな昔の話、知らないわ。今はまたふつうの状態に戻っているわ。」

「ええ、父と『母の死後』話合ってね。でもそれで僕の母を殺そうと思った。」

「待ってちょうだい、それは誤解だわ。私はやってない。」

「いや運転手と共謀したんだ。あの時トレーラーはブレーキを踏まずに、全力疾走して『動いて』いましたからね。僕はこの目で確かに見たんだ。」

「それはあなたの目の錯覚よ。タイヤ痕だってそうなっているって警察で。」

晴美は必死だった。赤司が子供だとばかり思っていた。どこからこの子供は調べたのだろう、いや子供ではなかった。赤司は大人の男のように吠えるように叫んだ。

「それだって金の力で何とかしたんだろう?あんたらは!」

「何を言って・・・・!」

晴美はブレーキを踏もうとして、視界がくらんだ。ハンドルを握っていられないぐらい強烈な睡魔が襲ってきた。その時横からタックするように赤司がブレーキを蹴った。バスケのキックの要領だった。車はタイヤをきしませながら、一本道の道路に斜めに急停車した。住宅街への抜け道だった。あたりは暗い山道だった。

赤司は晴美が完全に気を失っているのを確かめると、ドアから出て反対側の運転席から晴美を引きずり出した。そのまま晴美の体を草むらに転がした。そしてポケットからアーミーナイフを取り出した。刃を出して晴美の白い首筋に寝かせてあてた。殺してやる。今殺してやるからな。かあさんはあんな無残な死体になったのに、こいつはこんな首を斬られたぐらいで死ぬんだ。古賀の前で言った「あの人といるとおかあさんみたいで安心する」というのは、もちろん桃井のことだった。こんな女のはずはなかった。そういうセリフを言わされただけでも、赤司には憤懣な出来事だった。しかしあの時はすらすらとそのセリフが口をつき、涙が出た。その仕組みについては赤司にはわからなかった。死んだ母のこと、桃井のこと、晴美のことがないまぜになっていた。

赤司がしかし、犯行に及ぼうとした瞬間、後ろからきつく羽交い絞めにされた。そして思い切り横に投げ飛ばされた。

「馬鹿なことはやめろ!」

古賀だった。なんとか現場に追いつくことができたのだった。土地勘があり、この抜け道を知っていたのが幸いだった。道路に不審車が停車しているのですぐに降りてみたのであった。赤司は言った。

「邪魔しないでください。僕のおかあさんの仇なんです。」

「そんなことをしても、君のおかあさんは少しも喜ばないぞ。息子が刑務所に入ることを何と思う?親不孝なことはやめろ!」

「親不孝?あの世でかあさんはきっと喜んでくれるよ。父さんなんかもっと苦しめばいいんだ。古賀さんが僕のお父さんならよかった。」

「君の人生はどうなるんだ?バスケットで試合には二度と出られない。」

「僕の人生なんかどうだっていい。今殺させてください!」

「馬鹿っ!」

古賀は赤司の頬を激しく張った。やむを得ない処置だった。そしてアーミーナイフを取り上げた。古賀に見つかったことで、赤司は萎縮してしまったらしく、それは容易に行えた。古賀を殺してまで晴美を殺そうという気持ちは、赤司にはなかったのだった。

古賀は寝ている晴美を自分の車に乗せて、赤司も保護して近くの診療所まで車で走った。車の中で赤司は言った。

「古賀さんに第一発見者になってほしかったんです。それで名刺を置いておいた。」

「わかっている。しかしこんなことは二度とするな。」

「二度と?もう無理ですね。こんな機会は二度とありませんよ。」

「晴美さんには私の方から謝っておく。おまえは二度と接触はするな。」

「古賀さんは晴美さんの犯罪には目をつぶるんですか?」

「犯罪?証拠がどこにもない。すでに捜査も終わっている。おまえの考えているようなことは私もお見通しだ。司法は動かない。あれは事故だったんだ。あきらめろ。」

「でも僕はこの目で確かに見たんだ。」

「子供の目撃証言だけでは証拠にならないんだ。」

「古賀さんは面倒だからそんなことを言うんだ。」

「だからって殺していいはずがないだろう。」

そこで赤司は座った目で前を見据えてこう言った。

「他にやることを探せって言うんでしょう。わかりました。僕は日本一になってみせます。」

「日本一?」

「バスケットで日本一になります。つまり、司法の日本一と同じだってことです。それなら草葉の陰からかあさんも喜んでくれる。」

「そんな気持ちでは試合に出ても勝てない。」

「そうでしょうか。僕はやるつもりです。やってみせますよ。」

「・・・・・・。」

古賀は沈黙した。まるで売り言葉に買い言葉だと思った。赤司の提案は悪いものではなかった。だが何か変だと思わずにはいられない古賀だった。

診療所で気がついた晴美は、最初泣き叫んで暴れたが、古賀が未成年者を連れまわしたことは内密にするから、赤司のしたことは忘れるように、と言うとうなだれて黙り込んだ。彼にはもう会わせませんよ、あなたも会いたくないでしょう、と言うと晴美はこくりとうなずいた。車の方はJAFに手配しておきましたから、と古賀が言うと、「怖かったのよ。あの子が。」と晴美は一言言った。

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